この本の主人公は、小学5年生(途中で6年生に進級)の春夫さん。
本書は、彼が周りの大人たちと対話しながら、日常身の回りの事物の中に理科的知識を探っていくという、一種の学習読み物です。
その冒頭に置かれたのは「鉄一瓩〔キロ〕と木一瓩」という微笑ましい文章。
春夫さんは国民学校初等科五年生で、理科が大好きです。
学校の往復やお散歩の時よく自然観察をしてゐますから、
ときどき面白い質問をお父さんや兄さんに持出します。どう
してもわからない時には学校の先生にお尋ねいたします。
先生は春夫さんには大へん感心していらっしゃいます。
或日学校の運動場で遊んでゐる時、一人のお友達が突然
春夫さんに向つて
「鉄一瓩と木一瓩とどちらが重いと思ふ?」
と尋ねました。春夫さんは、
「君は変は事を云ふんだね。鉄も木もどちらも重さが一瓩
なのに、どちらが重いといふのは変じゃないか。同じ重さだよ。」
と云ひますと、そのお友達は得意さうに、
「それが違ふんだ。鉄の方が重いんだよ。うそだと思ったら
両方一しょに水の中へ入れてごらん。鉄は沈むけれども、
木は浮くだろう。どうだ、木の方が軽いぢゃないか。」
と云ひました。
皆さんはこの話を聞いて、どちらが正しいと思ひますか。
なかなか導入部も惹き付けるものがありますね。
ちなみに、春夫さんの住まいは東京の西部という設定ですが、当時の山の手の子供たちは、本当にこんな生意気な口調だったんでしょうか。
本の目次を見ると、上の話題に続いて圧力、浮力、比重に関連した話題が続き、著者はある見通しを持って、系統立てて知識を伝えようとしていることが分かります。
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理科そのものとは関係ありませんが、この本のページをめくっていると、あることに気付きます。それは、この小さな本の中にも、<時局の変化>が如実に表れていることです。
奥付を見ると、この本は昭和16年12月15日印刷、同20日の発行です。実際に発売されたのは、たぶんその一寸前でしょう。この年の12月8日が、言わずと知れた真珠湾ですから、この本は太平洋戦争開戦と同時に世に出たことになります。
子ども向きの気軽な本とはいえ、書き上げるにはそれなりの日数がかかったはずで、著者がせっせと執筆に励んでいる間に、世の中の空気は急速に変化したのでしょう。そのことが内容から想像できます。
本の前半は、それこそ鉄1キロと木1キロはどちらが重い?というような、ほのぼのした話題が続きます。もちろん中国大陸では日中戦争の最中ですから、当時の日本が平和を謳歌していたわけではありません。しかし、春夫さんの生活は、日曜日にはお父さんとハイキングに出かけたり、町でのんびり買い物をしたり、散歩帰りには大人びてコーヒーを飲んだりと、まだまだ余裕がありました。
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