師走初日、快晴。
近所の寺の境内では、澄んだ青空をバックに、最後の紅葉が燃えるような朱色を見せていました。
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ドラマのみならず、現実の世界でも、人と人が運命的な出会いをすることがあります。
同様に、人とモノの間にも「これが運命なのか!」と直覚されるような出会いがあるものです。
今日、必要なものを買いに、久しぶりに名古屋の東急ハンズに行きました。
そしてハンズに行くといつもそうするように、理科学用品コーナーを覗きました。
その一角には、以前から水生動物の剥製コーナーがあって、カニやら海水魚やらカブトガニやらが、人目を引くようにディスプレイされています。今日も子どもたちが「これ本物かなあ?」「違うよー」と言い争っていて、なかなかにぎやかでしたが、しかしあまり購入する人がいないのか、品揃えは前に見た時とあまり変わりないようでした。
しかし―。
いつもの剥製の横に、今日はちょっと見慣れない魚が並んでいました。
(店員さんが上手に梱包してくれたおかげで、無事連れて帰れました。)
商札を見ると、そこには「ミシマオコゼ」の名が。
「あっ!」と思いました。
実は、ハンズに剥製コーナーができて以来、そこにミシマオコゼが並ぶ日が来ないものかと、ひそかに夢想を続けていました。しかし、無数にいる魚類の中で、そうそう都合よくミシマオコゼが剥製になって登場するはずがありません。正直あきらめていたのですが、そのミシマオコゼが今、目の前に!これを運命と言わずして何と言いましょう。
さて、さっきからミシマオコゼ、ミシマオコゼと連呼していますが、なぜミシマオコゼに執着するのか?ミシマオコゼは、ちょっと変わった風貌の魚ですが、とりたてて人の興味を引く魚でもないでしょう。しかし、私にとっては深い思い入れのある魚なのです。
そのわけは、下のページをご覧いただければ一目瞭然。
[URL]
(常に星を宿すその瞳。彼にとって宇宙とは何なのか?)
この剥製は全長約30センチあります。格別大きなものではないにしろ、今の私の部屋では陳列が難しいサイズ。しかし、これだけは何としても部屋の守り神として祀らねばなりません。
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ちなみに、今日はミシマオコゼだけでなく、製作者・大堀水心氏の紹介文が、新たにショーケースの中に置かれていたので、参考までに転記しておきます。
「海洋生物はく製は多くは釣魚の記録としてつくられ、外観を良くするため、着色がされています。
それに対し、大堀氏のつくるはく製は、「海中での生物の姿を忠実に残したい」
という思いから基本的に無着色で仕上げられています。そのため、標本としての価値が高く、全国の博物館や研究者へ提供されたり、時には宮内庁へ提供したこともあるそうです。
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