もろもろ仕事に追われて、なかなか記事が書けません。
宿曜経の話題もちょっと間延びしてきたので、簡潔にいきたいと思います。
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宿曜経は「経」とはいっても、釈迦の説いた仏説ではありません。
文殊菩薩に仮託して、当時のインド占星術の基礎知識を説いたものです。そもそもインドに原典があったわけでもなく、インド出身の僧・不空が、自らの星占いの知識を口述し、それを中国人の弟子が文字に起こしたものだと言われます。したがって、内容は仏教教理とはほとんど関係がありません。
(宿曜経上巻 冒頭)
ここで話の眼目は、果たして宿曜経の中に、西方(ギリシャ、オリエント世界)の天文知識がどの程度含まれており、それが平安時代以降の日本にどう摂取されたか、という点です。(以下は矢野道雄氏の『密教占星術』からの受け売りですが、一部私の勝手解釈がまじっています。)
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まず、宿曜経の背景となっているインドの占星術には、以下の2要素が含まれているとされます(さらに宿曜経の成立以降に、イスラム系の要素も混入)。
(1)ヘレニズム(注1)以前のインド固有の要素
(2)ヘレニズム以後の西方系要素
宿曜経の内容を、この考えに沿って区分すると、インド固有の要素とは、白道(=月軌道)上に設定された「二十七宿(または二十八宿)」の観念であり、この「宿」の観念は、古代文明ではインドと中国だけに見られ、ギリシャやバビロニアの文献には登場しないそうです。
そして、西方系要素とは、黄道(=太陽軌道)上に設定された「十二宮」(いわゆる黄道十二星座)や、7日周期で各日を支配する「七曜(月火水木…)」の観念、あるいはホロスコープ作りに欠かせない「十二位」の考え(注2)などです。
(矢野前掲書、p.18)
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星占いでいう十二宮と黄道十二星座は、今では位置がずれてしまっていますが、まあ元は同じものです。さそり座とか、いて座とか、みずがめ座とか聞くと、何となくエキゾチックな感じがしますが、平安時代の人は既にその存在をよく知っていました。
(John Players & Sons のシガレットカード、1916年)
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