カリカチュアライズされた天文学者のルーツを探る(後編)
2011-07-13


7月12日は(日本では日付が変わって、今日13日がそれに当たると思いますが)、海王星が165年前に発見されて以来、ちょうど公転軌道を1周した、すなわち「1海王星年」が経過した日だというので、一部では海王星、お誕生日おめでとう!」と大変な盛り上がりを見せているようです。
この件は、近いうちに話題にしようと思いますが、まずは昨日の続き。

   ★

疑問を解くカギは、天文学者というよりも、占星術師のイメージにありました。
先日、ケプラー絡みで占星術師に関する本(※)を読んでいたら、次のような文章にぶつかって、「ああ そうか」と思ったのです。

(※)グリヨ・ド・ジヴリ著、林瑞枝訳
   『妖術師・秘術師・錬金術師の博物館』、法政大学出版局、1986
   (以下、引用に当り、文中の漢数字を適宜アラビア数字に変更しました。)


「現代の大衆の間に広く行きわたっている版画とか、程度の低い隠秘学の通俗的な内容の売らんかなの本には、どれにでも入っている図柄がある。そこにはきまっていわゆる 《古典的な》 占星術師が描かれており、彼らはとんがり帽子をかぶって、黄道一二宮を描いた衣服を着け、大きな望遠鏡を頼りに空を観察している。

これほど大きな間違い、これほどばかげたことはない。モリエール〔引用者註:1622−1673〕 の時代の医者と薬種屋のとんがり帽子が、そんなものをかぶったためしのない占星術師に譲られたのだ。人々はなぜか18世紀の変った画師ジヨが描いた喜歌劇の妖術師の装いを、占星術師に着せてみたかったのである。」 (p.284)


そう、このいでたち! 私が「珍妙な天文学者像」と感じたのは、まさにここに描かれている占星術師の姿そのものです。そして、この占星術師の姿も、実は歴史的にはありえない「架空の占星術師像」だと知って、「なるほど!」と思いました。


「いつでも手に天体望遠鏡を持たせるというのもおかしな話だ。オランダでは1610年のガリレオの望遠鏡以前に、最初の天体望遠鏡が現れたが、それも1600年から1610年であったことを忘れてはならない。 

〔…〕したがって、占星術の絶頂期とみなすことができる16世紀には、占星術師は望遠鏡などは持っておらず〔…〕この新しい道具を用いた、ただ一人の優れた占星術師はヴィルフランシュのジャン=バティスト・モランである。〔…〕生年は1583年、没年は1656年である。 〔…〕しかし、この頃すでに占星術は衰退への道を辿っていたのであり、その栄光の時代は天体望遠鏡の発明以前に終っていたのである。」 (pp.285-6)

「ボルドロン神父が天体望遠鏡を占星術師たちの手に持たせるのは、18 世紀の初めになってのことである。彼の『ウフル氏の奇想天外な空想物語』(1710年、アムステルダム)の口絵の中でのことだが、占星術に対する冷淡で凡庸な冷やかしを集めたこの書物は、古代にあれほど高い地位を占めたこの術が、まさしく退廃に向っていたことを示している。いってみればもはや占星術師はいなかったのだ。占星術師であり続けた人々も、自分たちの職業が日々信用を失墜して行くのを見るだけのことだった。」 (p.288)


引用が長くなりました。
繰り返しますが、要はあの「古典的」天文学者像は、占星術師のイメージの借用であり、その占星術師のイメージも、占星術師が衰滅した18世紀に入ってから、愚昧な存在として、ことさら戯画的に描かれた姿が元になっている…ということです。したがって、時代考証もでたらめで、現実の占星術師(や天文学者)とは懸け離れた格好をしているのも当然なわけです。


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