棚の奥から(4)…透明標本

コメント(全11件)
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S.U ― 2010-07-17 12:50
ありがとうございます。お考えよくわかりました。善悪、納得、倫理、表現活動は、道徳や良心のもとでは渾然一体となり、容易に分離しないです。また、標本収集家の方々の良心も人様々でそれぞれに深い思いがあるのでしょう。
 
 難しい問題は折々考えるとして、くどいですが平成玉虫厨子に戻りますと、私が学究至上としているように、工芸家の方は技術至上で、材料を生かしていかに巧みに美しく作れるかということしかないのでしょう。よくわかります。ただ、それを「技術の継承のため」と説明されたとき、木工、漆塗り、蒔絵はよいして、外国から輸入した材料に現代の技術を単発的に応用した平成の玉虫加工にどういう意味があるのか、とひっかかったところです。玉虫についてのみ言えば、一つの特殊な技術的実験だったのかと思います。

 でも、玉虫の羽あっての玉虫厨子で、これがなけりゃ、芸術的価値は別にして、ただの「豪華なお仏壇」ですよ。そういう意味で、現代に属する作品なのでしょうが、まあグッドデザイン賞はとらなかった方がよかったですね。
玉青 ― 2010-07-17 14:07
なるほど、S.Uさんの設問の趣旨がようやく分かってきました(遅すぎ)。

私なりに言いかえると、
“ことの善悪はさておき、技術至上を旨とする立場を認めるならば、技術のために他の生命を奪うことも「あり」だろうが(何せ技術至上ですから)、平成玉虫厨子の場合、タマムシの羽をペリペリ剥がして敷き詰めるぐらいのことで、「技術至上」を振りかざさんでも良いではないか。命の重みを考えたら、全然ペイしてないではないか。”
ということだと理解しました。

本当にそう思います。
技術至上を言うなら、現代の技術を駆使して玉虫の羽を人工的に再現し、それを敷き詰めた方がそのポリシーに叶ったかも。

(ときに飛鳥時代の人を貶めるわけではありませんが、玉虫の羽の利用は、加工技術もほとんど要らないでしょうし、当時の技術水準で考えても非常に安易というか、プリミティブな技法のような気がします。)
S.U ― 2010-07-17 19:13
私のまわりくどい文章を直截的に述べるならばそういうことになりますね。どうもお手間をとらせしました。1時間に足らない美術館の観覧中に感嘆やら疑問やらいろいろな思いが浮かんだということでご容赦ください。

 玉虫の羽は湾曲してたり接着しにくいという独特の苦労があったそうですが、螺鈿細工や金箔押しも加工接着の困難は同様で、ただ方法が確立されているかどうかの違いだと考えれば、おっしゃるように玉虫の羽の利用ははるかに安易だということになりそうです。
玉青 ― 2010-07-18 06:05
人の営み、命の重み、御仏の心…観る者にいろいろな思索を迫る、その意味で、これは大変ありがたいお厨子なのかもしれないと思えてきました(合掌)。
S.U ― 2010-07-18 08:30
あぁ、そうですね。特別展に私はじゅうぶん満足しました。また、今回は、標本収集についての思いも伺えてよかったです。
 初代の玉虫厨子もそういう意図からの発案だったとするとえらいものですね。
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