ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(5)
2009-12-17


禺画像]
(12月5日の記事のつづき)

ジョバンニとカンパネルラが見た「大きな本」のイメージとして、フィリップス&スティーブンソンが編んだ『宇宙の偉観』(1923)の1ページも挙げておきます。パッと見は、先日載せたベルジェの『天空』とほとんど同じですね。

日本でいえば大正末年あたりに、こうした体裁の本があちこちで出版されており、それが「銀河鉄道の夜」の一節と響き合っているように、私は感じます。

  ★

さて、話が前後しましたが、2人の少年は「大きな本」を眺める前に、「雑誌」に見入っていたのでした。

「たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだ
のでしたが〔…〕それはいつかカムパネルラのお父さんの
博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌の
なかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、
その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本を
もってきて〔…〕」

ここに出てくる「雑誌」とは何でしょうか?
この雑誌を購読していたのが「お父さん」だったら、一般読者を対象としたポピュラーサイエンス誌、カンパネルラだったら、少年向け科学雑誌だろうと、なんとなく想像されます。いずれにしても、その天文に関する記事は、少年たちでも「読む」ことができたのですから、専門誌でないことは確かです。

上の画像には銀河の写真が2枚写っていますが、キャプションを読むと、左側の大きな写真(E.E.Barnard 撮影による、へびつかい座ρ星付近)は、「ナリッジ(Knowledge)」誌からの転載だとあります。

同誌は、有名な天文学者であり、天文啓発家でもあったR.A.Proctor(1837−1888)が編集人となって1881年に創刊され、1917年まで続いた雑誌です(Knowledge: an Illustrated Magazine of Scienceが正式名称)。

専門的なジャーナルではなしに、一般人を対象にしたサイエンス・マガジンが登場したのは、イギリスでは1860年代らしく、そうした流れを受けて、1869年にはあの「ネイチャー」誌も創刊されました。(今では“権威ある学術誌”の代表格である同誌ですが、出発時点ではあくまでも一般誌です。当時の出版界の事情は、同誌のサイト(※)に簡単な記述があります。ちなみにナリッジ誌と同じく、ネイチャーの初代編集者も、天文学者(=Norman Lockyer;1836−1920)だったのは興味深い点です。)
(※)[URL]

イギリス以外の雑誌事情はよく分かりませんが、温厚博学の士であったカンパネルラのお父さんも、きっとそんな類の雑誌を購読し、居間や食堂に読みさしを置いていたのではないか…というのが、まず思い浮かぶ仮説です。

(この項つづく)
[天文古書]
[銀河(Milky Way)]
[宮澤賢治]

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