甦る鳥のビオソフィア…さらば殿様
2009-02-28


禺画像]

フォントネルの話を書き始めたところですが、今日は時事ネタです。(かくして平原を流れる大河のごとく、川筋は頻繁に蛇行し、ところどころに三日月湖が形成されることになるわけです。)

  ★

今朝、新聞の社会面を開いたら、鳥インフルエンザの発生を伝える大きな記事の脇に、黒田長久氏の訃報が載っていました。

「(くろだ・ながひさ=山階鳥類研究所名誉所長)26日、急性腎不全で死去、92歳。〔…〕89年から10年以上にわたって山階鳥類研究所長を務め、日本の鳥類学の発展に貢献した。旧黒田藩の15代当主。」

  ★

早いものであれからもう1年近くになりますが、昨春、東大総合博物館で「鳥のビオソフィア−山階コレクションへの誘い」という展示がありました。まだリンクは切れてないので、下に改めて張っておきます。
[URL]

会場には、古い剥製を中心に、骨格標本、卵殻標本、古写真、豪華な博物図譜などがずらり並び、古びた博物趣味の香気の横溢した、何とも味わいのある展覧会でした。

  ★

明治45年に設立された日本鳥学会、そして昭和17年開設の山階鳥類研究所。
当時そこに関係した鳥類学者には、皇族出身の山科芳麿の他、松平頼孝(よりなり)、鷹司信輔、蜂須賀正氏、黒田長禮(ながみち)等、旧大名やお公家さんの流れを汲む、華族階級出身者が多数含まれていました。

鳥類学、特に分類学は、標本を収集するだけでも莫大な資金が必要ですし、かといって国家が力を注ぐに足るだけの実利もなかったので、結果的に、資力のある有閑階級が個人で取り組む、何となく奥ゆかしい、小ぎれいな学問という性格を持つに至ったらしいのです。

今般亡くなられた黒田長久氏は、上に挙げた黒田長禮(1889−1978)の息です。
福岡藩主だった黒田家は、江戸時代の後期から代々学者大名として鳴らし、例えば10代斉清(なりきよ、1795−1851)は、本草学書を何冊も著し、シーボルトとも親交を結んだ、本格的な博物学者でした。そうした家の芸を、21世紀の今日まで伝えたのが長久氏でした。でも聞くところによると、その伝統も長久氏までだそうです。これは良し悪しの問題ではなく、基本的に最早そういう時代ではないのでしょう。

封建遺制を擁護するつもりは毛頭ありませんが、つまらん遊興に金を使うよりは、「殿様学者」という生き様の方が確かに有意義であったろうという気はします。

  ★

さて、上の写真は「鳥のビオソフィア」展の雰囲気を、何とか家まで持ち帰ろうと思って、東大正門前のK書店で購入した鳥類図鑑(といっても、別にその場で買ったわけではなくて、後からネットで注文したもの)。

■黒田長禮著・小林重三画 『鳥類原色大図説』全3巻
 修教社書院、1933−34(昭和8〜9)

この大部な本は、山科芳麿の『日本の鳥類と其生態』(1933−1941)、清棲幸保(きよすゆきやす)の『日本鳥類大図鑑』(1952)と並んで、日本三大鳥類図鑑と呼ばれるものだそうです。ちなみに、3人目の清棲もやはり旧伯爵の殿様学者。

私はこの図鑑を先達として、日本の鳥類学の歩みを偲びつつ、一気に鳥マニアの高峰を目指そう…と夢見たのですが、それは全くの夢想に終わりました。今やその巨体は空しく本棚の一角を占めています。まだ鳥と縁を結ぶには早すぎたのでしょう。

  ★

鳥は死者の魂を運ぶそうですね。
黒田氏のご冥福をお祈りします。

【付記】

家畜の感染症の記事を見ると、いつも凄惨な思いがします。今回も25万羽以上のウズラが殺処分になる…とサラリと書いてありました。万事人間の都合なわけですが、何とも痛ましい思いです。


続きを読む

[理科系古書(天文以外)]
[博物学]
[動・植物]

コメント(全4件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット