慷慨す血涙三話
2008-07-24


平治の乱に敗れ、朝敵として追われる身となった源氏の棟梁、源義朝は、尾張国内海(うつみ)庄司、長田忠致(おさだただむね)を頼り、忠致より大層な歓待を受けた。忠致に湯を勧められ、湯殿でゆるりと戦塵をすすぐ義朝。だが、すでに姦計は間近に迫っていた。平家よりの恩賞を目当てに、身に寸鉄を帯びぬ義朝を急襲する忠致の手勢。「我れに木太刀の一本なりともあれば!!」という悲痛な叫び声とともに、勇将は血しぶきを挙げて斃れた。時に平治二年(1160年)正月二日のことであった…

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 太平洋戦争末期、昭和20年4月5日。連合艦隊より沖縄海上特攻の命を受けた戦艦大和は、豊後水道を越え一路南を目指した。米軍の包囲網を突破し、沖縄西方に突入、自ら自力座礁して巨大な砲台基地と化し、沖縄上陸作戦を支援することがその最終目的であった。しかし、アメリカ側の反応は機敏で、4月7日には鹿児島県坊ノ岬沖で大和を迎撃。大和は無数の戦闘機、爆撃機、雷撃機の猛攻を受け、魚雷を左舷に集中被弾し、戦闘能力を消失。46センチ主砲はその真価を発揮せぬまま、午後2時23分、ついに轟沈した…

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これら2つのエピソードには、本来全く何の関係もありません。
そして第3のエピソードも。

 幾日も前から、あらゆるパターンを想定し、必勝を期して迎えたオークション最終日。終了時刻が近づくにつれ、値動きは徐々に激しさを増す。しかし、沈着冷静に事態の推移を見守りつつ、いよいよ最終局面に。機を逃さず渾身の力を込めて入札ボタンをクリック。しかし。最後の最後になってIE応答なし。にわかに総毛立つ思い。機械も即座にプログラムの再起動を開始するが、再度準備が整ったとき、全ての目論見は無惨にも砕け散っていた。声にならぬ声が、青い空に吸い込まれていった…

互いに無縁とは言え、これら3つを重ねるとき、人はそこに一種のドラマを見るのです。
そして世の無常を観じ、修羅の巷を逃れ、浄土を欣求する思いがきざすのです。
[身辺雑記]

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