覆刻版とオリジナル
2008-06-23


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コペルニクスの『天球の回転について』が2億3千万円で落札されたという、先週のニュースについて。皆さんはどう思われたでしょうか?

このオークション情報を最初に教えてくれた、例のメーリングリストでもこの件は当然話題になりました。

まず最初に出たのは、「もし2万円でファクシミリ版が手に入るとしたら〔註:これは事実〕、いったい誰がそんなものに2億円も出すんだい?」「買った人はきっと転売して儲ける気じゃないの?」という、「まっとうな」意見でした。天文学史をやろうなどという人は、元々尚古趣味のある人だと思ってたんですが、そういう人たちの中にも、やはりそういう「健全な」メンタリティーの持ち主が多い、ということは少々意外でした。

もちろん、2万円と2億円では選択の余地は少ないんですが、たとえばこれが2万円と20万円だったらどうでしょう?私ならば、「ん?」と一瞬立ち止まって考えるかもしれません。で、やっぱり2万円出すでしょう。さらに、これが2千円と2万円だったら…?しばらく悩んだ末に2万円出すかもしれません。(いずれも2万円というのがミソですね。)

さて、そういう中にあって、敢然とMLで古書蒐集を擁護したのが、リチャード・サンダーソンさんです。サンダーソンさんは、私の「師匠」なので(↓)、その言葉に思わず膝を打ちました。
[URL]

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こうした議論は、より普遍的な疑問に行き着きます。
つまり、そもそもコレクターはなぜ物を集めるのか?そしてなぜ絶えずコレクションを充実させることに、抗しがたい衝動を感じるのか?
おそらく、そこにはコレクターの数だけ答があるでしょう。

天文古書のコレクターである私自身の意見を述べるなら、多くの古書はまずもって「美しい」。革装丁も、多色石版画も、手彩色銅版画も、私は大好きです。

そして、人は本を通じて過去と直接触れ合うことができます。本の助けさえあれば、何世紀も昔の天文家でも生き生きとよみがります。私は古人の言葉を読むとき、何か彼らが親しく語りかけてくるように感じます。

さらに古書は、何か他の人間が所有しえない貴重なものを所有しているという、自己満足感を与えてくれます。何年も探し求めていた本が見つかったときなど、まさに狩りのスリルと醍醐味も味わえます。

そしてたぶん最もシンプルな理由は、天文古書を集めることは楽しいということです。 (以下略)

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“the simplest reason is that collecting old astronomy books makes me happy.”
まあ、だからといってポンと2億円出すかいえば、それはまた別の問題かもしれませんが…。

私なりに解釈すると、歴史的古書を所有したいという欲求は、それによって(=古書を鏡にして)自分が歴史的存在であることを確認したいという欲求と、たぶんコインの裏表なんだと思います。つまり、古書は自分が過去とつながっていることを実感するためのツールであり、その蒐集は自己存在の不確実感や欠落感を埋めるための試みなのではないか…そんなことをチラリと思いました。

だから、モノとしての古書を必要としない人は、過去から超然と自立した人なのでしょう。「たとえ同じ値段でも新品のファクシミリ版を選ぶ」「どこの誰が触れたか分からないモノは気持ち悪い」という潔癖な意見も聞きますが、それも私には超然として聞こえます。
[天文古書]
[古玩随想]

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