コメント(全2件)
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S.U ― 2024-10-20 06:06
失われてしまったのですか。
確かに、引用されているにも関わらず、どうにも見つからないとか現存していないとされる資料がありますね。
いっぽう、国立天文台や東京大学には、私が参照した資料だけでも、なんでこんなのが残ったのだろうという足立家・渋川家のメモっぽい文書(『ユラヌス表』、『暦学聞見録』)があります。江戸の司天台あたりで観測記録がない場合が多いとしたら、観測記録と考察メモはしまってあった場所が違ったということでしょうか。
渡辺敏夫氏においても独自に観測資料を集められ、それらは国立天文台の寄贈ライブラリになっていますが、そこにも欠落しているものはあるようです。でも、天文史研究者が原本を見たことは間違いないでしょうから、どこかで他の研究者による手稿本か写本を見たものの、写真を撮ったり写本をつくって大学等でまとめることがされていないのかもしれません。一般的傾向として、どういう史料は残っていて普通で、どういう史料は残っていないのが普通なのかまではわかっていないので、以上は勝手に想像しているだけです。
玉青 ― 2024-10-20 09:44
>失われてしまったのですか。
…と問われて、お答えできる立場でもありませんが、でも失われたと考えるほかないのではないでしょうか。その道の大家にしても、おそらく「ここにある」と断言できる方はいらっしゃらないでしょう。しかし、逆に「ない」と断言するのも危険な話で、どこかからごっそり出てくる可能性もなくはないですよね。ただ、出てくるにしても、おそらくは写本でしょう。
刊本を借覧して写すのはもちろん、書類を提出するとき、手紙を送るとき、心がけのよい人は必ず手控えとして写しを作りましたし、天文方関係の文書にしても、親子・兄弟・師弟・師友の間で大いに写本は作られたことでしょう。それをまた写す人もいて…という具合で、写本は我々の想像を超えて大量に作られたと思います。
今ある『ユラヌス表』や『暦学聞見録』にしても、渋川景佑が自ら筆をとって(あるいは下僚に命じて)作成した写本で、それ自体貴重なものですが、原本は結局未発見なわけですよね。そして、それらが公の場所に今あるのは、遺族や関係者から巷間に流出したものが、古書市場に回り、篤志家が買って寄贈した、あるいは目端の利く業者が、買ってくれそうな個人や機関に持ち込んで…みたいなことが、明治の頃から繰り返されたからだと想像します。
天文方の息吹を伝える同時代史料が、ある日どこかから山のように見つかる…。
まあ、夢想するのはタダなので(笑)、大いに夢想しようではありませんか。
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