コメント(全3件)
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S.U ― 2023-12-18 17:55
「温かみのある鉱物画」について、ふと思いついたのですが、日本や中国では、以前はこれは本草学の一分野であって、つまり、薬石なのですよね。薬石は、内臓のために煎じて服用するのがおもな用途であったので、昔の絵師においてはついつい温かい目線が生じたということはないでしょうか。
玉青 ― 2023-12-21 18:23
いくぶん論旨がずれますが、東アジアにも水石趣味や弄石趣味はあったので、石を美しいものと感じる感性はあったはずですが、なぜ鉱物画的な表現(硬質な鉱物描写)を持ちえなかったのか、これは興味深い問題ですね。
もちろん私にも答は分かりませんが、ひとつ思うのは、東アジアの先人は西洋画と出会うまで光と影の描写を知らなかった、引いては硬質な鉱物描写に欠かせない光沢や透明感の表現技法も持っていなかったことが影響していると想像します。
それは技術の巧拙というよりも、いわば「表現哲学」の違いであり、東洋における絵画とは「対象そのもの」「対象の真の姿」を描くわざであり、対象にまつろう光や影は「かりそめのもの」であるがゆえに、描画の際はむしろ積極的に捨象されたのだ…という説を耳にしたことがあります(当否は不明です)。
S.U ― 2023-12-22 06:05
>弄石趣味
>光と影の描写
この2つは「温かい鉱物」に関係していそうに思います。
ここで、稲垣足穂の「水晶物語」を思い出しました。タルホ少年は、弄石趣味の年寄り向けらしき、手垢とツヤと丸みのある石を譲りに訪れた人を馬鹿にしていましたね。その感性は私にもわかる気がします。彼は、日本の伝統に排除すべきものを見つけていたのでしょう。
ただ、伝統にも意味があって、樹木に満ちた日本式庭園、檜や白木で満ちた床の間には、全体を鑑賞するにふさわしい光と影の関係上、自身が「温かい」岩石があってほしいのだと思います。庭や床の間にあるものが自然美の象徴であることは足穂も理解していたと思いますが、そこには本当の自然と比べて当然欠けている精神があり、それに我慢できなかったのだと思います。
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