彗星と飛行機と幻の祖国と
2021-11-15


彼は死の前年、1918年には日本にも来て、4週間滞在しています。そればかりでなく、原敬首相を始めとする時の要人に会い、大正天皇にも謁見しています。日本のシベリア出兵を促すためです。

シチェファーニクの独立へのシナリオは、第1次大戦で英・仏・露の「三国協商」に肩入れして、チェコ人とスロヴァキア人を支配してきたドイツとオーストリアを打ち破り、列国によるチェコスロヴァキアの独立承認を勝ち取ることでした。

ただし、ロシアでは革命で帝政が倒れた後、左派のボリシェビキと右派諸勢力の抗争が勃発し、在露同胞により組織されたチェコスロヴァキア国民軍とボリシェビキが対立する事態となったため、ボリシェビキを牽制するために、日本の力を借りる必要がある…と、シチェファーニクは判断したわけです。(そのため第二次大戦後、チェコスロヴァキアがソ連の衛星国だった時代には、シチェファーニクについて語ることがタブー視された時期があります。)

当時の複雑怪奇な欧州情勢の中で、シチェファーニクの情熱と言葉がいかに人々の心を動かしたか、その人間ドラマと政治ドラマが本書の肝です。そして、もちろん天文学への貢献についても十分紙幅を割いています。

   ★

1919年5月4日、彼が乗ったカプローニ450型機はイタリアを飛び立ち、故国スロヴァキアに着地する寸前で墜落し、彼は劇的な最期を遂げました。「カプローニ機は整備不良で事故が心配だから、鉄道で帰国してはどうか」と周囲はいさめたのですが、「自分はオーストリアの土地を踏みたくない」という理由で、強引に搭乗した末の悲劇でした。

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(墜落事故の現場。本書より)

そして彼の遺骸から発見された、愛する女性への手紙を引用して本書は終わっています。

   ★

最後に蛇足ですが、チェコスロヴァキア建国運動の歴史的背景を、簡単に述べておきます(私もよく分かっていませんでした)。

チェコ人もスロヴァキア人も同じスラブ系の民族であり、チェコ語とスロヴァキア語は互いに方言程度の違いしかないそうですが、両民族のたどった歴史はだいぶ違います。すなわち、ドイツ人を支配層に戴きながらも、ボヘミア王国として独立の地位を長く保ち、近世になってからハプスブルク家の統治下に入ったチェコに対して、スロヴァキアは11世紀以降マジャール人(ハンガリー王国)にずっと支配されたまま、自らの国家を持ちませんでした。

それが19世紀になると、民族意識の高揚により、チェコ人とスロヴァキア人の同胞意識が芽生え、ドイツへの対抗意識が生まれ、オーストリア=ハンガリー二重帝国からの独立運動が熱を帯び、ついには「チェコスロヴァキア」という新たなスラブ国家創設へと結びついたのです。

その中心にいたのがシチェファーニクであり、彼はほとんど徒手空拳で中欧の歴史を書き換えた傑物です。


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