銀河の時計

コメント(全3件)
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S.U ― 2021-01-27 08:32
ごく最近、今でも「機械分解マニア」に分類される少年少女がいることを、どこかのメーカーだか教育機関だかの広告で知りました。嬉しく思うとともに、これも人間の本性なのかと思いました。

 思い出して見ると、物心ついた頃の私は時計専門の分解マニアでした。近所の家から壊れた時計をもらって来て分解していました。時計以外の物には興味が無く、機械やカラクリのマニアにはなりませんでした。今は時計は電子式で修理の機会はほとんどありませんが、一般の機械の分解修理をする時にはちょっとした血の騒ぎを感じます。昔の時計は機械の要素の王様だったということかもしれません。

 こういうのは、大なり小なり多くの人がそうなのでしょうか。玉青さんは、分解マニアでいらっしゃいましたか。
玉青 ― 2021-01-27 22:11
マニアというほどではないですが、分解はいろいろやりました。
時計に限らず、何でも分解していた気がします。
分解というのは、構造を知る等の明確な目的がなくても、それ自体面白いものですね。
昔の解剖学者も、きっと分解の面白さが大きな動機づけになっていたのでしょう。
(私自身は、その後だんだん形のないものの構造が気になりだして、現在の仕事に至っています。)
S.U ― 2021-01-28 08:24
ありがとうございます。
 分解マニアの潜在性は誰にでもあるんでしょうね。ただ、まったく顕在化していない人も多いようなので、分解好きが身体の表面まで現れている人は何人かに1人なのでしょう。

 形のないものの構造への興味と、機械の構造に血が騒ぐというのは共通のルーツがあるのでしょうか。これはまたモノとコトの二元論OR一元論の議論になりそうですが、こちらは論理と人間の精神の問題だからモノとコトの区別はなく繋がっていてもおかしくないと思います。
 私は、形があるのとないのの中間のもの(画像としては見えないが数式や図としては見える)の分解を業としていますが、機械とは明瞭なつながりはないように思います。

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