日本の星座早見盤史に関するメモ(3)…手作り早見盤のこと
2020-05-24


天文学を系統立てて教える学校や先生が少ない中、寺島小(現・内町小)の島田先生は、非常な情熱を傾けて、それを成し遂げようとしました。

「大人は疑ひ深く欲深い、蟋蟀の詩趣深い鳴き声を聞いてすぐ虫屋を始めて一儲しやうと邪念を起す親爺さんも、星は美しいが竿が届かぬからだめだと、もう見むきもくれない。曰く「天文は生活に縁遠い」と。
 夕陽、黄道光を残して西山に沈むや「一番星見付けたあれあの…」と全精神を星に送って歌ふ子供性こそ真に星に密接であると言へやう。」(上掲書p.1)

そうした純な心に発して、島田先生は天文教育を大いに鼓吹しました。
果ては天球儀、渾天儀をはじめとする測器・儀器、星図類を揃えつけ、天文学者の肖像をずらりと並べた研究室をしつらえ、さらに立派な望遠鏡を備えた観測ドームの設置を夢想するのですが(同p.52)、戦前の小学校にあっては――戦後でも――それはファンタジーに過ぎなかったはずです。それでも、その理想に向けて、せっせとガリを切り、画用紙を裁って星座早見をこしらえた先生の真情を思うと、胸に迫るものがあります。

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(島田先生推奨の天文教育設備一式)

私の勝手な思い入れと感傷に過ぎないと承知しながらも、この粗末な星座早見盤は、粗末であるがゆえに、いっそう美しい星ごころを感じさせます。

(この項さらに続く)

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[星座早見]

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