金色のちひさき月のかたちして

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S.U ― 2018-02-24 09:08
関連して、自分が以前に書いたものとの関連を思い出したので、忘れぬよう、ここに引用させていただきます。(御ブログを備忘録に使わせていただいて申し訳ありません)

 日本ハーシェル協会の掲示板(Tea Room)の、投稿:2017年 5月28日で、三浦梅園の『玄語』の以下のような内容を引用しました。

---以下 日本ハーシェル協会掲示板上記投稿より引用

 また、地冊・露部・性界の冊・日影・色界の終わりのほうに、「太陽は、景影の両世界を作る中心であり、月や惑星は明るい世界にあって暗く(自らは光っていない)、星や天の川は暗い世界にあって明るい」という意味のことを書いています(*2)。・・・(中略)・・・
 なお、三浦梅園がどうして『玄語』の「色界」にあるような説を知ったのかということですが、これは、ちょっとわかりません。玄語は1770年代に完成したことになっていて、当時、麻田も中井兄弟も西洋説については詳しくは知らなかったはずです。梅園が独自に発案した、中国書に地動説以降の西洋説の紹介があった、蘭学者に聞いた、という可能性が考えられますが、どの説もそれほどもっともらしいとは言えず、この部分は謎のように思います。

----(引用ここまで)

 これによると、三浦梅園は、金星は自ら輝かないということを確信していたことになります。理由を含め、これ以上のことはわからないので、こういう疑問があったということを引用して指摘するに留めたいと思います。

 なお、「玄語は1770年代に完成したことになっていて」というのは、三浦梅園の執筆の範囲で、安永本が一応の成立と見られていることを指すもので、玄語そのものは梅園の没まで未完で、後世に刊本になったものは息子の主齢の編集によるものです。よって、細かい部分まで1770年代に完成していたと見てはいけないのでしょう。でも、惑星が輝かないというのは、天体の性質の知識としては哲学的にも根源的なものだと思うので、1770年代は時期的に微妙なものの、これが蘭学以前の東洋説あるいは漢籍知識である可能性が高いように思います。
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