ガリレオ時代のヨーロッパでのコペルニクス説の禁制への変化は、その時の政治的関係があったといいますね。また、心ある人には、けっこう離れがたい説得力があって、衝撃的で悩ましかったということもあるのでしょう。
日本では、ちょっと調べてみますと、日本人修道士ハビアンが林羅山との論戦で「地動説を主張した」とありますので、地動説を敢えて主張するカトリック関係者もいたということのようです。
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しかし、地動説は、コペルニクスと説とは違いますが古代中国でもあったので、それほどとんでもない説とは受け取られず、根拠に欠ける説くらいで適当に無視され流行らなかったのかもしれません。日本には、実践的な近代科学として入ってくるまでは機が熟していなかったのだと思います。