ストラスブールの天文時計(後編)

コメント(全4件)
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S.U ― 2017-10-22 16:29
>2代目の天文時計〜ニコラウス・コペルニクス
 これは驚きですねぇ。カトリックがコペルニクスの宇宙論を積極的に取り上げたことがあったということでしょうか。

 中国や日本に最初に西洋の地理学、天文学を伝えたのは、カトリックの宣教師だったので、16世紀にはコペルニクス説は伝わらず(一説として紹介する人はいても広まらず)、それが広まったのは18世紀以降ということになっていますが、16世紀に伝わっていたら面白かったでしょうね。

 でも、そういうことがあれば、織田信長あたりが喜びそうなのにそういう話がないのは、やはり伝わっていなかったのでしょうか。
玉青 ― 2017-10-23 08:37
ええ、驚きでしょう。この辺の事実関係については、もう一度『誰も読まなかったコペルニクス』を読んでみないといけないなと思っています。
[URL]
S.U ― 2017-10-23 13:08
ガリレオ時代のヨーロッパでのコペルニクス説の禁制への変化は、その時の政治的関係があったといいますね。また、心ある人には、けっこう離れがたい説得力があって、衝撃的で悩ましかったということもあるのでしょう。

 日本では、ちょっと調べてみますと、日本人修道士ハビアンが林羅山との論戦で「地動説を主張した」とありますので、地動説を敢えて主張するカトリック関係者もいたということのようです。

[URL]

しかし、地動説は、コペルニクスと説とは違いますが古代中国でもあったので、それほどとんでもない説とは受け取られず、根拠に欠ける説くらいで適当に無視され流行らなかったのかもしれません。日本には、実践的な近代科学として入ってくるまでは機が熟していなかったのだと思います。
玉青 ― 2017-10-24 21:09
地動説の日本への流入はずいぶん早かったのですね。
日本でもその当否を判断するだけの観測天文学が育っていれば、その後の流れはずいぶん違ったのでしょうが、それがない状況では、単なる奇説として聞き流されてもやむを得なかったかもしれませんね。

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