コメント(全9件)
1〓5件を表示
S.U ― 2013-07-28 19:15
おぉっ、このチョウはすごいですね! 生きているうちから透明なんですね。ジャノメチョウなのに。驚きです。こんなのが突然飛んできたら、どんな気持ちがするでしょう。
このチョウを見て、室内用のゴム動力飛行機を連想しました。さらに、長野まゆみ、飛行機ですから、例によって、稲垣足穂の文献を引かせていただきたいと思います。
足穂に「ファルマン」という小品(『ヰタ マキニカリス』所収)があって、本文の最後が詩で締めくくられていますが、その最後のフレーズが、「フランスの蝶! ファルマン!」となっています。初期のファルマン型飛行機が作者のイメージの一つであった可能性も考えてよいと思います。 「パピイ」はフランス語起源でしょうし、ファルマンは徳川大尉の飛行で日本でも知られています。これらはサポート材料となると思います。
玉青 ― 2013-07-29 20:22
興味深いご示唆をありがとうございました。さっそく「ファルマン」、読みました。
薄絹を張った軽やかな翼で、フワリと野や畠の上を滑っていく飛行機械。
時代背景を考えれば(一応SF的設定ですから)、「パピイ」はファルマンそのものではないかもしれませんが、「ファルマン的なるもの」である可能性は大きいですね。
何といっても彼(彼女?)こそ「フランスの蝶」であり、一匹のパピヨンなのですから。
(絹の翼にも、鱗翅類への連想が働いている感じです。)
S.U ― 2013-07-30 05:59
>「パピイ」はファルマンそのものではないかもしれませんが、「ファルマン的なるもの」
おぉ、「ファルマン」全編をお読み下さいましたか。この作品は、出てくる飛行機の描写はおおむね愛らしく親しみ深いいっぽう、足穂のテンションは高いですね。
確かに「パピイ」は未来の蝶凧ですから複葉機そのものではないでしょうね。絹張りの翼とともに、複葉が羽4枚に見えること、翼弦線が豊かなこと、尾翼と方向舵が箱凧的構造になっている点は、パピイの形状の参考になると思います。
長野氏は機械に関してどのような感情(すなわち、ヰタ マキニカリス)を持っているのでしょうね...作品の光景の想像は読者側に属するものでしょうが、作者についても気になりました。
玉青 ― 2013-07-30 21:22
「ファルマン」の主人公の「私」が、ゴム動力で飛ぶ「模型飛行機」ではなく、正確なスケールモデルである「飛行機の模型」を志向し、しかも本物がまとっている「空中感」まで欲したところなど、いかにも「水晶物語」の例の少年を思わせますね。足穂とモノとの関わりについて、再度思いをはせました。
長野氏もモノ好きには違いありませんが、氏の筆はどうもお菓子とか、玩具とか、自然のちょっとした欠片とか、そういったモノを書くときのほうが筆が走っていて、あまりマシンへの偏愛はないんじゃないでしょうか(『天体議会』ただ1作を読んでの感想ですので、あまりまともにお取りにならないように)。
S.U ― 2013-07-31 06:43
「ファルマン」にしても「水晶物語」にしても、少年が固定しようと焦る微妙な感覚や思いについて、多角的にくどいほど描かれていますので、読者にもそういう感覚の指すものがよくわかります。足穂は、この点である意味非常に懇切な作家であったと言えるでしょう。でも、その背後にあることを統一的に表現するためには彼の一生を要し、また、それがどう伝わったか、うまくいったかは、読者それぞれが判断するところでありましょう。
長野氏は足穂の亜流ではないようですので、立っている基盤も違うのでしょう。それでも、上の足穂の一生の課題について、なんらかの解釈をしたところを出発点として『天体議会』を書いているのではないかと思います。それが何かということを知りたいのですが、玉青さんの「モノ好き」の診断では、まずはオブジェ志向から始まっているように見えるということですね。私も『天体議会』一作のみの読者で、長野氏の他の一、二の編については途中で挫折したもので話になりません。これ以上の追究は無期延期です。
足穂は「機械的人生」というだけあって、機械にはオブジェ以上の「精神力」をこめているようですが(「ファルマン」NB)、これについては、また別の機会に議論させていただきたいと思います。
セ記事を書く