リチャード・プロクター著 『恒星アトラス』(2)

コメント(全9件)
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S.U ― 2010-12-04 08:58
幕末の頃、江戸に来た西洋人が、西洋では高価な紙を使って日本人が鼻をかんでいるのをみて驚いた、という話を読んだことがあります。これは、当時すでに古紙の回収・再生をしていたからだといいますが、昔は和紙のほうが洋紙より安かったのでしょうか。また、出版向けの紙の生産量の比較はどんなものだったのでしょうか。また、ごゆるりとご教授下さい。
玉青 ― 2010-12-04 17:26
ムムム…これまた門外漢なのではっきりしませんが、紙は初期輸出品目として、生糸や茶と並んで稼ぎ頭で、フランスあたりでは「和紙=高級」のイメージが明瞭にありましたから、実際には粗悪な和紙でも、件の外国人には高級そうに見えたのかもしれません。

日本における近代の製紙の歴史は、以下に簡単に述べられていました。
[URL]

これを見ると、日本で
・木材パルプ紙の製造が始まったのは、明治22年頃。
・洋紙の輸入比率は、明治7年(95%)→明治33年(38%)に低下。
・和紙の生産戸数が最多だったのは、明治34年。
・和紙と洋紙の生産(量か額か不明)が逆転したのは、明治末年〜大正初年。

紙の需要は明治を通じて増加を続け、最初は洋紙も和紙も生産が増えていきましたが、明治の末にいたって和紙は洋紙に首位を明け渡したようです。機械印刷への適性の差はもとより、日露戦争後に製紙業が重工業化するにつれて、生産コスト面でも太刀打ちできなくなったのではないでしょうか。(いかに人件費が安くても、機械には勝てなかった!)

   +

和紙と洋紙の話題は明日以降の記事にも続きます。
S.U ― 2010-12-05 09:06
なるほど。経済的な部分は大きいですね。人件費<材料費のときは精巧なものが作られ、人件費>材料費になると粗悪になるというのが手工業の鉄則だと思いますが、機械が入ってくるとこの構図はいったん崩れて、次の段階では、機械の都合に振り回されるようになるということでしょう。

 もう一つ、例を思いついたのですが、西洋の児童小説では小学生は学校で石盤を使っていますが、日本の時代劇の寺子屋では幼児さえ紙に○やら×やら書いて遊んでいます。これも価格差を物語っているのではないかと思いますが、授業料への投資の違いもあるかもしれません。

紙の保存法についての後続情報を楽しみにしております。
玉青 ― 2010-12-05 14:24
単に安価な生産手段としての手工業は淘汰され、付加価値のあるものだけが生き残るのでしょうが、どうも「付加価値」というのは、正体が有るような無いような、ちょっと謎めいた存在です。(経済学よりも、むしろ心理学の領域かもしれませんね。)

近世以前の紙の製造コストは、日本の方が格段に安かったのは確かだと思います。
西洋では長らく廃衣料(リネン)が主原料で、原料の供給に大きな制限があったのに対し、日本では楮などの栽培植物から直接製紙したため、生産量がそもそも違ったのでしょう。名のある紙の産地でなくても、いたるところで農間余業として普通に紙すきを行ってましたし、何せ建築資材まで紙に求めた国ですから…。

ただ、石盤と紙については、コストにも増して、ペンと筆という筆記具の違いが大きかったと思います。
日本でも、明治の子どもには石盤はお馴染みだったらしいですね。物の本によれば、石盤は明治18年ごろから急速に普及し、大正いっぱいぐらいまで使われたようですが、いっぽう長野県では、早くも明治36年に石盤・石筆をやめて鉛筆への切り替えを決めた小学校もあったとかで、結構地域差があるようです。まあ、何にせよ昭和の子どもにはとんと分からぬ教具ですね。

(S.Uさんにしか通じない独り言ですが、何だかこうやって考証めいたことを書き綴っていると、自分が○藤○達氏になったような気がします…^_^;)
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