「科博の旧本館(現・日本館)は、上から見ると飛行機の形をしている。これは偶然か、それとも意図的なデザインか?」
先日の記事(10月4日)では、科博の基本構造、すなわち中央にエントランスホールを設け、左右に翼状に陳列室を張り出した平面プランは、昭和初期の他の博物館・美術館建築と共通するもので、科博独自のものではないこと、ただし科博の場合は、その後背部に研究・収蔵スペースを独立させた点に特徴があり、そのため“結果的に”全体が飛行機の形に類似するに至ったのだろう…と述べました。要するに「偶然説」に立ったわけです。
しかし、依然モヤモヤするものがあったので、思い切って科博に問い合わせることにしました。科博の広報担当の方からは、折り返し資料とともに、丁寧なご回答をいただきました(どうもありがとうございました)。
資料の引用についても了解が得られたので、以下に「アンサー編」と銘打って、この問題についてまとめておきます。
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結論から言うと、「よく分からない」というのが、現時点での答です。
以下は広報担当・S氏からいただいたメールです。
「(前略)日本館は、設計段階から飛行機の形を模して作られております。
ただ、設計当初の段階では、飛行機型の平面をしておらず、設計の途中で飛行機型平面に変更されているようです。
飛行機型への変更は、当時の最先端技術の象徴が飛行機であったため、そのかたちを採用したと言われていますが、正確なところは不明のようです。
平成19年に当館の建築史を担当しております研究者がまとめました『国立科学博物館本館改修工事報告書』(非売品)に、上述の記載がありましたので、関連ページとともにスキャニングしました。(後略)」
冒頭の部分だけ読むと「デザイン説」を肯定しているようにも読めます。
ただし、その依拠する『国立科学博物館本館改修工事報告書』(以下、『報告書』)を読むと、それほど状況は単純ではないことが分かります。
『報告書』の17ページには「3.飛行機型プラン」という一節が特に設けられているので、以下にその全文を掲げます。
「本館の設計は、当初から飛行機型の平面をしていたのではなく、設計の途中で飛行機型平面に変更されている。当時の最先端技術の象徴である飛行機型を採用したとも言われているが、正確な理由は不明である。
博物館として必要な陳列スペースに加え、講堂・図書館・研究室などの施設と管理施設が必要なため、これらを飛行機型の尾翼部分に集約した。中央をエントランスを備えた吹抜けホールとし、両主翼部分を陳列室、胴体および尾翼部分に事務・監理スペース、講堂・図書室などをまとめている。」
ここで設計の変更云々というのは、当時の館長、秋保安治が自ら指揮した計画案(「秋保私案」)からの設計変更を意味します(秋保は建築学が専門でした)。
(『報告書』7頁より)
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