上野の科博は上から見ると飛行機の形をしている。
これは意図的なものか?それとも偶然か?
…コメント欄でそんなことを書きました。
昨日、日本建築学会(編)の『建築設計資料集成4』(丸善、1965)を見ていて、現時点では「偶然説」に傾きつつあるので、そのことをメモ書きしておきます(暇ですね)。
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同書には、科博の平面図(たぶん1931年当時のもの)が載っています。
(↑上掲書より一部改変の上転載)
たしかに全体はかわいい飛行機型。
ただし、設計は当時の文部省大臣官房建築課によるもので、個人の仕事ではありません(※)。ですから、あまり実験的で、奇抜なことはできなかったんじゃないかなあ…という気がします。
(※)ネット情報では、設計担当者は当時文部省の技師だった小倉強だと書いてあるものが多いのですが、いずれもソースがはっきりしません。ウィキペディアの同氏の項にある経歴と、時期が整合しないような気もします。
さらにこの本には、他の博物館の図面も載っています。1930年代にできた官立博物館からいくつか類例をあげてみます。
国立博物館(渡辺仁設計、1937)
京都市美術館(1933)
大阪市立美術館(1936)
これらを見ると、当時は、中央に車寄せの付いたエントランスとホールを設け、そこから左右対称に陳列室を翼状に張り出した構造が流行っていたことが分かります。科博の建物もまさに同じ平面プランであり、その形態は、こうした建築史の文脈に位置づけて考える必要があると思います。
ただ、科博で特徴的なのは、研究・収蔵のためのスペースを、他館のように展示スペースとは別のフロアに設けるのではなく、その背後に独立させた点です(敷地の形とスタッフの動線の関係でしょうか)。この部分がなければ、科博は当時の標準的な博物館建築そのものであり、特に目立つ点はないのですが、この「尾翼」があるために、結果として全体の形が飛行機と酷似するに至ったのでしょう。
「ただし」と、ここでもういっぺん話を引っくり返しますが、この建物を見て、当時の子どもたちは間違いなく飛行機を連想したでしょうし、「新しい科学博物館は、飛行機の形を真似て作られたんだって!」と子どもたちが噂し合っても、博物館側はあえてそれを否定せず、笑ってうなずいてたんじゃないか…という気もします。
この辺の事情は、たぶん当時の『子供の科学』誌を見ると、関連する記事が見つかりそうなので、お手元で調査可能な方は、ぜひお調べいただければと思います。
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