コメント(全4件)
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しばらく前に、1970〓80年代の『天ガ』を見直しながら見入ってしまったことがありますが、『子供の科学』バックナンバーも面白いですね。
玉青 ― 2009-12-30 16:07
そうそう、70年代の天ガも読者欄が面白くて、読み出すと止まりません。時代相というのはああいうところに一番よく出るようですね。
でも、文体は変わっても、読者のあり方は結構戦前と連続しているものがあって、その辺も興味深いです。
S.U ― 2009-12-30 16:54
ジョバンニにつかず離れずのお話しがおもしろいので、私もつかず離れずのコメントをさせていただきます。
12/30の項にも書かれていましたが、やはり「読者欄」というのが独特の場なのでしょうね。最近は、雑誌自体が衰退気味なことを別にしても、雑誌にそういう読者欄が無くなってきたように思います。かつてはどの雑誌にもあったので廃止されつつあるのかもしれません。インターネットのブログがその代わりをしているということでしょうが、みんなが対等に自慢し合い、それを誰もけなさない、という場はネットでは今や難しいかもしれません。
それからもう一点ですが、「銀河鉄道」に対するアミーチスの「クオレ」の影響(御ブログ2009/12/3)が指摘された点が気になっています。賢治は「学園もの」に注目したということでしょうか。イタリア人らしき名前が出てくること以上の関連は私にはすぐにはわかりません(「クオレ」は久しく読んでいませんので)。賢治が「クオレ」の影響を受けているならば、より「学園もの」?の「風の又三郎」にもその影響があるのでしょうか。
それでは、これを本年最後のコメントとさせていただくかもしれません。2009年はどうもありがとうございました。 どちら様も良いお年をお迎え下さい!
玉青 ― 2009-12-31 16:53
S.Uさま
今年一年、この場を大いに活性化していただきありがとうございました。
明年もどうぞよろしくお願いいたします。
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>それを誰もけなさない
最近は同じ悩みを抱えた人たちの自助グループとか、お互いの経験を分かち合う集いがいろいろなところで行われていますが、そういう場での大原則が「相手の言葉を否定しない、批判しない」ということで、自分の思いを自由に語るためには、それが最も大切なルールです。
それがかつての読者欄で実現していたとすれば、素晴らしいことですね。青少年の成長にも大いに役立ったことでしょう。ネットでも、意識的に運営すればそういう場は作れるのでしょうが、そうでない掲示板やチャットだと、かえって傷つくことも多いでしょうね。
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天沢退二郎氏は、
「『クオレ』〔…〕には、アルバイトをする貧しい少年の話、級長へのひそかな友情、難破船からボートへ乗りうつる最後の機会を道連れの少女に譲る少年の話、アメリカへ出稼ぎに行っていたというが実は監獄へ入っていた父を持つ少年の話、川で溺れかかった友を死を賭して救った少年の話など、『銀河鉄道の夜』を連想させる挿話が少なくない」
と書いています(別冊太陽「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」、p.8)。
こういう風に列挙されると、なるほどと頷かれますが、実は私は「クオレ」を読んでいないのですよ(苦笑)。したがって、又三郎との関連も今後の宿題です。
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