やっぱりトロートン望遠鏡のことなど…東京天文台初期の歴史

コメント(全1件)
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玉青 ― 2007-09-02 13:43
記事にするとくどいので、コメント欄に書いておきます。

グラバー商会の文書(↓)によると、明治初期(1869年)の邦貨−ドルの換算レートは、100ドル=87両だそうです。即ち5,000両=5,747ドルになります。
[URL]

したがって後から6,000ドル(あるいは5,000ドル)送ったというのは、ほぼ同額を追加支出したことになります。

これをポンドに換算してみます。下のような便利なサイトがあって、一応これを信用すると、1870年当時のレートで、6,000ドル=1,073ポンドになります。
[URL]

要するに日本から送ったのは、英貨にして総額約2000ポンドです。これを上記サイトを使って、さらに現在の貨幣価値に直すと、約19万ポンド、日本円で4300万円強という数字が出てきます。

そのうちの半分を赤道儀式望遠鏡の購入にあてたわけですから、現在の価格で2000万円台の前半の機材を購入したわけで、当時の日本の国力や、初めて購入する本格的な機材だったことを考えると、妥当な数字だと思います。

なお、手元に1852年にシムズが出した THE ACHROMATIC TELESCOPE AND ITS VARIOUS MOUNTINGS という本があって、その巻末にトロートン&シムズ社のカタログが載っています。目盛環、運転時計、マイクロメーター付きの赤道儀式大型望遠鏡は、口径9インチで価格800ポンドとなっています。

諸経費を見込むと、文部省の見積もり(1872年)の6,000ドル(約1000ポンド)や、内務省の見積もり(1876年)の900ポンドというのはちょうどいい数字ですね。このことからも、トロートン望遠鏡はやはり1872年の時点で既に購入が決まっており、内務省はその移管を念頭において(数字合わせをしながら)、建言書を書かせたんじゃないかという気がします。

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